1999年7月26日〜8月3日
目を覚ますとまだ停電だ。非常灯はバッテリーがあがったのか消えている。
エアコンが効かずレストランが暑いので、屋外の席で朝食を取る。今日もおかゆ。
部屋に戻りひげを剃っていると、何か痛い。鏡を見ると血が出ている。
よく調べるとシェーバーの網歯が切れている。
おいおい、また壊れ物か...
この一帯だけの停電だとばかり思っていたのだが、迎えの車が来て話を聞く(台湾語なので僕にはよくわからない)と、台湾全土が停電しているという。みんな冗談だろうと思っていた。
社長も来てくれたので話を聞くと、どうも本当に台湾中が停電しているらしい。
午後にならないと復旧しないとのことで会社も午後からの出勤になったそうだ。
とりあえず、決めなければ行けないことがたくさんあるのでミーティングが出来るところへ移動することにする。
台湾は、けっこう自家発電が出来るビルがたくさんあるので、冷房が入っている店を探すが見つからない。やむを得ず公園で打合せをしようと言うことになった。
信号が使えなくなっているというのに、交差点でもさほどひどい渋滞もなく、うまいこと譲り合いながら車が流れている。交通整理が出ているわけでもないのに感心してしまう。日本だったらどうだろう?おそらくパニック状態になってしまうのではないだろうか。
公園に着いてベンチを確保すると、運転手をしてくれていた人が新聞を買ってきてくれた。
北京語なのでちゃんと読めるわけではないが、日本と同じ感じも多いので大意はつかめる。
見出しは
全台大停電
うーん、ほんとだ。日本でも報道されているのだろうか?
詳しい内容はわからなかったが、台湾南部で送電線の鉄塔が倒れ、バックアップに回った他の発電所がオーバーロードに陥り、将棋倒し的に全土の発電所がダウンしてしまったらしい。
国策的に重要な台北の工業地帯と空港はすでに最優先で復旧されたらしいが、それでも大変な経済損失があるとのこと。この地区はやはり午後のようだ。と言っても、午後のいつ頃かは不明だ。
打合せも終わったのであとはこの地区の復旧を待つばかり。唯一冷房の効いている車の中にいるのが一番と言うことで、とりあえず、市内を車で走り回ってくれることになった。
店もほとんど開いていないので、ただひたすら走る以外にない。あいかわらず渋滞はない。
海に近い川沿いの公園で一休み。やはり外は暑いが、日本のべたべたした暑さとは違い、以外に耐えられる。
昼食時になっても復旧しないので、またまた店を探す。
結局どこもだめで、しかたなく弁当屋で弁当を買ってまた最初にミーティングした公園に行き昼食をとることになった。
今日の弁当は排骨弁当。28日の夕飯に食べた排骨丼と基本的に同じだが、今日のは脂っこくてとてもしつこい。全部食べたら少し気持ち悪くなってしまった。
しばらく、今後の方針を話し合いながら日陰で涼んでいたが、どうも復旧の気配が無いのでホテルに戻って復旧を待つことにする。
冷房が切れているので暑くて耐えられないかと思ったが、意外と涼しい。ルームキーパーの人が気を利かせて窓を開けて置いてくれたせいかもしれない。
ベッドに寝ころんでパソコンをいじったりしていたが、眠くなりうとうとしてしまう。
2時半頃に一度復旧したが、どうやらテストだったらしく、1時間ぐらいで消えてしまった。
7時になっても復旧しないので夕食をとることにする。
外にでてもどうせどこも開いていないと思い、初めてホテル内で夕食をとった。
メニューがさっぱりわからないのでチキンカレーを頼んだ。
190元(日本円で800円弱)なので期待していなかったのだが、スープ、デザート、コーヒーまで付いたセットでこの値段だった。
味の方は、日本のカレーとは違い、そば屋のカレーのような粉っぽい物だったが、なんとか食べられる。この値段なら充分なレベルだろう。
食事を終えると買い物にでた。
隣のコンビニでビールを買おうと思ったのだが、店が閉まっている。遠くにセブンイレブンの看板が見えたので、そこまで歩いていく。
店の入り口に、試験営業中の張り紙が。
一抹の不安を覚えつつも、目先を変えて「雪山ビール」というのを買っていくことにする。
不安は的中だ!まだバーコードが設定されていないらしく、値段表を見てレジのにぃちゃんは大慌て。
どんどん長くなる行列を見かねて、客出来ていたと思われるちょっと可愛めのおねぇちゃんが手伝い始める。どうも知り合いのようだ。
部屋へ戻ると間もなく復旧した。
しかしTV局がまだ復旧していないらしく、TVは映らない。
風呂に入ってビールを飲んでいたら、このビールがMUSCH BEERというアメリカ製のビールだと言うことに気が付いた。台湾の物が飲みたかったのにちょっとショックだ。
二缶飲み終えてもTVが映らないので寝ることにする。
あとで思えばこの日体を休めることができて本当に良かったと思う。
一日本来の仕事が出来なかったせいで、このあとのスケジュールが殺人的な物になるのだから。