結石日記

まったく経験のない脇腹の痛みで目覚めたのは忘れもしない阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件のあった1995年の夏。その年は5週間にも及ぶインドネシア出張があり、いつもとはちがうストレスがたまっていた。
目が覚めたのはまだ暗い4時頃だったのでしばらく我慢していたのだが、いっっこうに痛みが治まらない。それどころかどんどんひどくなってくる。下痢をしている様子もないし、左側なので盲腸でもない。やがて痛みは信じられないような次元に突入する。こんな痛みがこの世に存在するのか?これはただごとではないと思ったもののそこは悲しい一人暮らし。病院へ連れていってくれる人もいない。とても自分で車を運転できる状態ではないので意を決して救急車を呼ぶ。入院しても良いように痛みをこらえながら着替えや洗面用具を鞄に詰める。ああ情けない。
程なく救急車がやってきた。寝台に寝かされたが一向に救急車は出ない。受け入れ病院が決まるまでは出ないようだ。
病院は車で5分ぐらいの所にあるのだがその5分が永遠に感じられる。やっと病院へ到着し、診察を受けると
「尿管結石だな。間違いない。」
の一言。
え?尿管結石?
尿道結石とは腎臓で出来た石が腎臓と膀胱をつなぐ管にひっかかり、尿の流れをせき止めてしまうために尿管や腎臓が腫れて痛みが起こる病気だ。人間が経験する痛みの中で3本指に入ると言われている。
命にかかわるような病気でないのでホッとしたもののなんだか情けない病名だ。それにだからと言って痛みがやわらぐわけではない。特に治療らしい治療が出来るわけでもなく、痛み止めの点滴を打たれて病室に放置された。
しかし点滴もまったく効き目が無くどんどんひどくなる激痛にやがて意識を失ってしまった。

しばらくして目覚めるとすっかり痛みは消えていた。検査やら何やらで1泊したのち無事に石も出たが腎臓にまだ小さい石が残っているので何年かすると再発するだろうと言う。
一抹のいや〜な気分を残しつつも無事退院。

そして6年半の月日が流れた。

2002年の冬休みも最終日となった1月6日の早朝。思い出したくもないあのいや〜な痛みが脇腹に。
来た!
あの時と同じように痛みはどんどん増してくる。しかし病院へ行っても今日は日曜日なので石が自然に出るまではどうせ点滴を打たれるだけだ。前回の経験では痛みが続くのは4時間ぐらい。何とか我慢するしかないか。
そういえば冷蔵庫の中にはあの時痛み止めにもらった座薬が。まぁ、点滴が効かないのだから座薬ぐらいじゃ効かないだろうとは思ったもののなにもしないよりはマシ。座薬を入れて布団に潜り込む。すると10分ぐらいして痛みが治まってきた。あれ?座薬ってこんなに効くの?
効き目が強いせいかそのうち意識がもうろうとしてくる。いつのまにか眠りに落ち、目が覚めると痛みはすっかり消えていた。
やれやれ、これであとは石が出てくるのを待つだけだ。

ところが現実はそんなに甘く無かった。夜になって再び激痛が襲ってきた。しばらく飛び跳ねたり背中を叩いたりしているうちに楽になってきた。痛みがまたぶり返してこないうちに寝てしまおう。
結局明け方にもう一度激痛が来てまた座薬を使ってしまう。

今度は目が覚めても何だか腰のあたりに重苦しさが残っていた。しかし痛みがあるわけではないのでとりあえず会社へ。しかし電車に乗っているうちにどんどん痛みはひどくなってくる。とうとう会社のある駅のひとつ手前で耐えられなくなり会社へ電話して家に引き返してしまった。
またまた入院する事になるかもしれないので準備を整えて病院へ。ところが泌尿器科の混んでいること。脂汗を流しながら順番を待つ。
順番がまわってきたのはもう昼過ぎ。結局薬を増やされただけで帰されてしまった。

その日もそれから2度の発作。さらに明け方にもう一回。朝目を覚ますとまだ脇腹がズーンと重い。朝食を食べているうちにどんどん痛くなってきたので今日も会社はお休み。今年はまだ一度も会社へ行っていない。
この日も夕方に一度、夜に一度。どんどん座薬を消費する。それにしてもこんなに効く薬をがんがん使っていて大丈夫なのか?心配したとおりなんだか胃の調子がおかしくなってくる。食べ物の味がよくわからない。酒もまったく飲む気にならない。
明け方にもう一度発作が来たものの、朝は昨日よりも痛みが弱い。しばらく落ち着くまで待ってから出勤することにする。
家を出たところでまた痛くなってきたが、ひどい発作の時とはちょっと痛みの感じが違うのでとりあえず電車に。かなりつらかったが会社に着き自分の席に座ったとたんに痛みが消えてしまった。
とは言え、脇腹の重っ苦しさはあいかわらずで一日を不安に過ごす。
18時頃また嫌な感じになってきたので家に帰ることにする。ほんとに仕事にならない。案の定、家の手前で発作が始まった。そして翌日もほとんど同じパターン。
金曜日。この日の朝も痛みがあったが会社へ着くと痛みと共に重っ苦しさも消えてしまった。もしや石が尿管から抜けたのでは?というかすかな期待。トイレに行くたびに注意深く見るが、出てくる気配はない。しかし、発作が来る不安がないので久々に仕事が進む。
今日は労使共催の新年会なのだがさすがに酔っぱらった状態で発作が出ると怖いのでパスして家に帰る。結局その晩は一度も発作が起きなかった。

土曜日からは3連休。座薬が底をつきかけているので病院へ。もしかしたら石が抜けているかと言う期待もあったのだがレントゲンを撮ってみるとびくとも動いていない。このままではらちがあかないので破砕が出来ないのか聞いてみると「来週はもう一杯なので、また痛みがひどいようなら来週来てもらえば再来週にやりましょうか。」という。保険は利くけれど自己負担で7万円ぐらいかかるとのこと。うーん、その前に出ればよいのだが。
3連休というのに運転中に発作が来ると危険なのでどこへも行けない。おまけに病院で風邪をもらってしまったようで体がだるい。早めに就寝するが明け方またまた発作。ちょっと油断していただけにのたうち回ってしまう。

それから一週間は何事もなく過ぎて行った。しかし石が抜けた気配はない。土曜日に再び病院へ。
先週にくらべて病院は異常に混んでいる。順番を待っていると「鈴木あみ様」とか「森光子様」とか呼び出しがかかる。ホントかい?
やっと順番が来てレントゲンを撮ると思ったとおりまったく石は動いていない。このままでは仕事にならないことを話し、破砕を依頼する。
破砕は火曜日に日帰りで出来るが一応入院扱いになると言う。そのためにはいろいろと手続きが必要だ。破砕そのものに必要なCTの撮影の他に、感染症を調べるため胸部レントゲンと血液検査(A型、B型肝炎、AIDS)、心電図検査を受ける。おまけに保証人の署名と印鑑が必要だ。検査が終わった足でそのまま実家へ向かおうかと思ったものの座薬を持ってこなかったことに気が付いた。
何度も発作を繰り返すうちになんとなくパターンがわかってきた。予兆が来てからまったく我慢が出来なくなるまではほぼ1時間。実家までは車で1時間半かかるので座薬無しでは危険だ。おまけに座薬を使うと意識がもうろうとしてくるのでとても運転できない。そんなわけで車で行くのはあきらめ、いったん自宅に戻ってから電車で行くことにする。
。実家で発作に見舞われてはかなわないのでとんぼ返りで戻ってきたところ、家に着いて1時間ほどして発作が襲ってきた。もうすぐ破砕だというのに。
結局日曜日は一日中発作。先週ほとんど発作がなかった分まとめてきた感じだ。

月曜日はまたまた検査。静脈造影検査のため朝食は抜き。予約時間が11時と中途半端なので一旦会社へ行くわけにはいかない。造影検査は点滴で造影剤を入れながら10分おきにレントゲンを撮る。撮影は30分ほどで終わったのだがそのあとの診察までが異様に長い。きょうはめちゃくちゃな混み方だ。13時ぐらいには終わると思っていたのだが、結局終わったのは2時近く。それから会社へ向かう。
明日の破砕のために今日は21時までに下剤を飲まなければならない。会社を19時過ぎに出て帰宅する。2食抜いてしまったため何だか胃の具合がおかしい。明日に備えて早く寝る。

目が覚めると6時。まずい。発作だ。くう。もう何時間かで砕けるとういうのに。結局座薬を使ったりしていたのであまりきちんと寝直しが出来なかった。なんだか睡眠不足。おまけに少し風邪っぽい。

朝食を抜いて病院へ。今日は治療で鎮痛剤を使うので車では行けない。一駅だけだが電車を使う。
受付で手続きをしようとすると何だか要領を得ず、とりあえず3階のナースセンターへ行けと言われる。エレベーターで3階へ向かうと看護婦さんが待っていてくれた。お、結構かわいい。病室へ向かうと思いきや、そのまままた1階まで降りてX線写真を撮る。出来た写真を受け取って病室へ。
ところがベッドの準備が出来ておらずしばし待たされる。荷物を置き、今日のガイダンスを受けるといきなりトイレに連れて行かれ浣腸をされてしまった。看護婦さんに浣腸をされるのはなんとも恥ずかしい。
病室へ戻ると今度は点滴を始める。そのまま13時までの3時間はひたすら水分を飲む以外はやること無し。睡眠不足なので寝ようとするのだが点滴のおかげで異様にトイレが近い。ほぼ15分おきのペース。寝ているヒマがない。なんだかまた脇腹が重くなってきた。うう、発作が起きていても破砕は出来るのだろうか。
12時になり、昼食の時間。しかし当然僕は食べるわけにはいかない。ああ、腹が減った。
12時半。破砕の準備のため鎮痛剤の座薬を入れられる。ああ、自分でいれますぅ。

13時5分前。いよいよ破砕室へ。看護婦さんが車椅子を持ってくる。帰りはこれに乗るほど痛いのだろうか。
今回破砕に使う体外衝撃波結石破砕装置は第二次大戦中にドイツが潜水艦内の乗務員を潜水艦を壊すことなく殺傷するための兵器開発が始まりといわれている。兵器としては開発不成功だったが平和利用として結石治療機に生まれ変わったものだそうだ。電極で放電させて発生した衝撃波を凹面鏡で患部に集中させて結石を破壊するのだ。
ベッドはちょうど腰のあたりが横にえぐれていて、斜め下から破砕装置が腰に当てられる。上からはX線TVでリアルタイムに破砕の状況が観察される。痛みを押さえるためにゼリーのようなものを皮膚に塗りたくり、心電図を測るためのケーブルがつながれていよいよ破砕の開始だ。
「パンパンっと音がしますけどびっくりしないでくださいね。」
程なくピストルの発砲音のような乾いた衝撃音が響き始める。一秒間に3回ぐらいだろうか。思いっきりひっぱたかれているような衝撃があるのだが痛みはほとんどない。鎮痛剤が効いているのだろうか。それとも発作のおかげで痛みになれてしまったのだろうか。時折骨に響いてくる感じがあるが痛みはそれほどひどくない。それよりも骨は砕けたりしないのだろうか?
10分ぐらい過ぎた頃からトイレに行きたくなってきた。しかしこの状態ではどうしようもないので我慢する。しかし20分ぐらい過ぎた頃にはどうにも我慢できなくなってきた。
「すみません。トイレに行きたくなってきたんですけど。」
「あと2〜3分だけど我慢できますか?」
「あ、大丈夫です。」
とは言ったもののつらい。この2〜3分が永遠に感じられる。
額に脂汗がにじんできた頃。
「はい、終わりです。お疲れさま。」
ゼリーをふき取られ、ケーブルをはずされるやいなやトイレへ。なぜかこのフロアには女性用のトイレしかない。ちょっと躊躇したが、看護婦さんが見張っていてくれると言うことでトイレに飛び込む。検査のために尿瓶を渡されすべてその中へ。
破砕室に戻り、アンケートと簡単な今後の説明を受けて病室に戻る。時計を見ると破砕室に来てから40分ぐらい。簡単なものだ。
車椅子に乗せられて病室へ戻る。痛くて車椅子が必要なのではなく鎮痛剤のおかげでふらつくために車椅子が必要だったようだ。16時にCTの撮影があるのでそれまでは安静に。あいかわらずトイレが近い。尿に砂のようなものが混じる。砕けたものが出始めてきたようだ。すべて出るまでは数日かかるようだが。
CTを受け病室に戻ると薬剤師さんが薬を持ってやってきた。か、かわいい!
いい歳してうろたえてしまい、結局名札も見ずじまい。くそー。

17時。看護婦さんが伝票を持ってやってきた。これを持って退院手続きをしてきて下さいとのこと。ところが入退院受付は17時まで。またもたらい回しに。結局外来の会計受付で処理し、病室に戻る。
看護婦さんに聞くとちょうど退院許可が出たとのこと。荷物をまとめて病院をあとにする。日帰りなのの妙に長くいたような気がする。今回も腎臓には小さいかけらが残っているようなのでまた数年後に来るんだろうなぁ。看護婦さんよろしくね。
ああ、それにしても腹が減った。

結石日記・了


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